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2014年 06月 29日

Eric Dolphy と 瀬戸内寂聴

我が家には瀬戸内寂聴さんの暦があります
昨年末来年の暦を決めるのにネットでいろいろ検索した結果きまったのです

七十二候(植物の成長や動物の行動、気象の変化などによって季節の移ろいを美しい言葉で表した農事暦)をはじめ忘れられかけている日本のさまざまな四季を感じられる、または思い起こさせてくれる暦になっています

ただ先に述べたそれらの言葉だけのものではなく
この方のこれまでの名言、格言が中心となっている暦です

そしてきょう6月29日のことば

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「ジャズ奏者エリック・ドルフィーの演奏を始めて聞いたとき私は心が震え涙があふれてきました」

ああこの方もドルフィーのインプロビゼーションを聴いて感動されたのかというのがわかり、
距離がぐっと近くなった思いがしました

あくまでも私の主観ではありますがジャズを聴いていなかったひとがいきなりドルフィーのアルバムを聴いて感動するというのはなかなかマイノリティーのように思えます

しかしその後の文面にもある通り当時気になっていた異性から渡されたのがそのアルバムを聴くきっかけだったとあり、
それがあったからこそその音楽を理解しようという思いがつよく、
その為感動がより一層深かったのではないかと想像します

その他詳しい内容は以下になります

「私は深い森の中で無数の小鳥に囲まれているような感じがした
湖が見え白い霧が林のこずえを流れるのが見え、せせらぎの音が聞え、森の外から角笛が聞えてきた。

五官の中で聴覚が一番弱いと自他共に認めて生きてきた。
育った環境も音楽に最も縁がなかったせいかもしれない。

小学校も女学校も音楽は「甲」がついたが、それは、他の学課があまりよく出来たので、
先生が特別でおまけをくれていたのだと思う。

コーラスの時は、なるべくヘンな調子っ外れをださない様に口だけパクパクあけていた。
 東京女子大に入って、寮生の友人がみんな音楽好きで音楽会に誘われたが、

何度いってもクラシックの音楽会は眠くてどうしようもなかった。
 これほどさように音楽嫌いと思いこんでいた私に四十歳をいくつか越えたある日、

年下の男の友人が一枚のレコードをくれた。
私は仕方なく、(その頃その人に気があったので)彼の意を迎えるため、あわててステレオを買った。

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そしてはじめてかけたのが、『ラスト・レコーディング/エリック・ドルフィー』だった。
私は、全身震えを感じ、聴き終ったら涙を流していた。なるほど、音楽とはこういうものかと思った。

私は深い森の中で無数の小鳥に囲まれているような感じがした。湖が見え、
白い霧が林のこずえを流れるのが見え、せせらぎの音が聞え、森の外から角笛が聞えてきた。

ちらっと首を出して、すぐ身をかくす子りすの黒い目があった。
私は、こもれ陽のちらちらするハンモックの中に目を閉じていた。

音楽が終ったあと、やさしい男の声が流れた。音は生れてすぎ去り、
永久に捕えることが出来ないといっているようだった。私は自分が才能なく音楽に

無縁で、一度印刷されたら、消すことの出来ない小説を書く仕事を選んだことが、
不幸のように一瞬思った。そして、音楽と恋は生れてすぐ消え、

永久に捕えられなくなる点で似ていると思ったりした。
 その時のステレオは国産の上等だった。それでも何だか不安になり、

すぐもっと上等のものに買い直した。機械が変っただけで、レコードの音が全くちがったものに
なるのに驚嘆し、私はそのレコードがすりきれるはどかけつづけた。

 ジャズならわかる。その時が私の音楽への開眼である。何と遅いめざめだろうか。
四十年も私は耳がありながらつんぼでいたのである。

 不思議なことで、いつのまにかジャズのレコードがたまるにつれ、(当分一月に二十枚くらいずつ買
った)クラシックの音楽を聞いても眠くならなくなった。特にバッハなどがとても好きになった。

 小説を書きながら、その場のバックミュージックにジャズを選んでひとり悦にいる楽しみも覚えた。
 たいてい真夜なかにひとりで聴く。疲れきっている時、ジャズは全身の細胞に

しみとおり、涙のようにかわいた躯をうるおしてくれる。
エリック・ドルフィーでジャズを覚えたせいか、その後の私の好きなジャズ曲も、静かなものが好きなようだ。

もちろん、彼の他のレコードも集めはしたが、何か決定的なことを決める時とか、心がめいった時とか
、むやみに高揚しすぎる時とかに、私はおまじないのように最もはじめに私にジャズという

より「音」を教えてくれた最初の一枚をかけることにしている。
 それから、何年かたち、私は全く思いがけないなりゆきで出家した。その時、

今東光師からいただいた私の法名ほ「寂聴」であった。私ほ電話で今師から、「寂聴はどうだい」
と聞いた瞬間、耳にあの『ラスト・レコーディング』が聞えてくる気がした。

「いただきます」と、私は弾んだ声で答えていた。
 今でも、私は尼姿で、嵯峨の寂庵の夜を、ジャズレコードをかけてひとり聞いている。

 天台宗は、仏教音楽「聲明(しょうみょう)」を大切にする。
 出家して間もなく叡山横川の行院で六十日の行をさせられた時、はじめの一ケ月は、まるで音楽学校

にいれられたかと思うように、聲明の稽古と学習で油をしぼられる。もし私がジャズを聴く習慣を
もたないまま、あそこへ入っていたら、それはもう地獄であっただろう。天台聲明は静かで美しい。

 ジャズの源も、宗教音楽にたどりつくのではないかと思いながら、私は淋しい塩梅音(えんばいおん)の
練習などをやらされていたものだ。

音がレコードにとどめられるようになったことは音楽家にとって果して幸福なことか不幸なことか、
今でも私はわからない。レコードのこの音は、絶対ナマとはちがうんだ、鏡の中の自分が決して本物の

自分ではないように。などと考えながらも、まだ開発されてまもない私の耳では、充分レコードの音に
たぶらかされながら、今も彼の出す音や彼の声にうっとりと寂かに聴きいっている。」

ここまでが寂聴さんの文面です

そこでひとつ些細なことですが・・・

はじめに記してあるアルバムのタイトルは[LAST RECORDINGS]とあります

これは「LAST DATE」なのではないかと

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(LAST RECORDINGS/DIW)

何故かというとその後こう記してあるからです

「音楽が終ったあと、やさしい男の声が流れた。音は生れてすぎ去り、
永久に捕えることが出来ないといっているようだった。」

[You Don’t Know What Love Is」

”When you hear music, after it’s over, it’s gone, in the air, you can never capture it again”

「エリック・ドルフィーでジャズを覚えたせいか、その後の私の好きなジャズ曲も、静かなものが好きなようだ」

この一行はさらにそれを裏付ける言葉になります
しかし一度ご本人に確かなところをうかがってみたいものです

ドルフィーがなくなる27日前の録音
この演奏で聴くことのできる彼のフルートはまるで、
天に命を捧げる代わりに繰り広げることが出来たインプロビゼーションのよう・・・

1964年6月29日 享年36歳 

もし興味を持たれた方は一度聴いてみてもソンはありませんよ



by pat_mthny7205 | 2014-06-29 18:25 | favorite | Comments(4)
Commented by smart-time at 2014-07-01 21:15
寂聴さんはジャズを聴かれるんですね。。。へぇ~と興味を持って読み始めましたが、
その言葉を借りながらライーナーノーツよりも分かりやすい解説で
EricDolphyの世界に興味を待たせるpat_mthny7205さんのmagic。
すっかり手にとってみたくなりました(^^;
Commented by pat_mthny7205 at 2014-07-01 23:25
smart-timeさん こんばんは
コメントありがとうございます
この方のインプロビゼーション(solo)は、
聴けば聴くほどその深さ、凄み、またはその逆とも云える静寂性をも私は感じます
音色から一見(聴)してコルトレーンよりアクが強そうにも感じるかもしれませんが、
ドルフィーのほうがずっとやさしいです
[Got Bless the Child]
Commented by 横浜のvafan at 2014-07-03 21:31 x
pat_mthny7205さん、こんばんは。

寂聴さんの話は、オーデォオと音楽とのよき関わりが伺えます。

エリックドルフィーの名前は前から気になっていますが、まだ
未入手です。聴く楽しみが増えました。

ご紹介ありがとうございます。
Commented by pat_mthny7205 at 2014-07-04 23:08
横浜のvafanさん こんばんは
コメントありがとうございます
ドルフィーですか 
彼の場合使用する楽器(アルト、バスクラ、フルート)で様々なカラーを出してきます
寂聴さんが彼に抱いている印象からはやはりフルートかと思われますが、
そこから入るのならば「レフトアローン」かな?


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